グランドピアノが来てからというものの、、、。
ピアノを弾くのが楽しくてたまりません。
正直、音大の時はピアノを弾くことはそこまで楽しくありませんでした。
作曲を勉強して自分で作品を書くようになって、
その過程を踏んだ今だからこそ、
おそらく楽譜からいろんなことが読み取れるようになって、
そこに作曲家のソウルを感じられるようになったのだと思います。
今、バッハの平均律のフーガを弾いていますが、
バッハって、ほんとすごいなーと思うのです。しみじみと、、、。
音大の作曲学科の前学科長ですが、頭の良いのはもちろんのこと、
また人情味あふれとても面白い方でした。
その方は作曲家を目指して音大に入って、フランス留学もして、
今は亡きフランスの現代作曲家メシアンを見てきたのですが、
若い時に筆を折り、書くことをやめたと言っていました。
なぜなら、
「バッハを越せないと思った」
とのことでした…。
バッハって!!!まぁ、当たり前といえば当たり前かもしれない…。
そもそも、バッハと自分を比べるのがすごい!
その先生は非常に頭のいい方だから、バッハの偉大さと自分との距離が
明確に把握できたのだろうなと思います。
その偉大さを目の前にしたら、もはや太刀打ちできないと、、、。
歴史に残る作曲家たちは、みな新しい形式を生み出しています。
その「新しいもの」を目指して実験音楽と呼ばれた期間を経て、
現代にかけては全てやりつくされたと言われています。
情報化社会の中で新しいものが出て消えて出て消えてを繰り返し、
この先何百年も先まで残るような何かを生み出せるかといったら、
とても不可能としか思えません。
人間の歴史、大きな革命や転換期に新しい音楽が生み出されたりしていますから、
そのような何かが起これば、新しい何かが生まれるかもしれません。
それとも、物があふれ物質化し複雑化するほど、人はもっと単純でピュアなものを
求めるかもしれませんね。
音楽がどこへ向かっていくか、それは人類がどこに向かっていくかと同じです。
話がだいぶ逸れましたが、バッハを越すとか考えたら、曲はかけないですね。
でも、私自身はやっぱり書きたいですね。
人生のうちにもう一度、オペラを書きたいです。
いつか来るその日のために勉強を続け、
お教室に来て下さる全ての方に
音楽の素晴らしさを伝え、
生徒さんたちに心を尽くし、
日々の暮らしを積み重ねていこうと思います。